1989年BURUTUS『ジャパニーズ・ビューティー』ゴールデンウィーク号
表紙は愛娘、羽瑠子
当時、郷ひろみと二谷百合枝の間に生まれたばかりの娘さんを表紙にする
予定だったが断られ娘が表紙を飾る事になった。
この号、 創刊から現在まで発行部数で最高記録を破れれていない。
いまでも中古で高額な値段で取引されていると言う。
前年の暮れにここ企画の話があり一時は断ろうとしていた企画。
しかし、『YELLOWS』のを模索している時期であった為ヌード写真を撮らせてくれると言う条件で撮影する事を承諾した。
イエローズは元々、妻が妊娠したことを知り『何か娘に残せるものはないか?』
と言う事から始まったシリーズ。
当時言わずと知れたファッションフォトグラファーをしていた僕には膨大な
ファッション写真を撮っていたがそんな物を残しても彼女にとって寝る場所も
なくなるただの産業廃棄物でしかない。
そんな時、原宿で店をしていた母が僕の撮ったファション雑誌を見て
「彬、どうしてお前は外人さんしか撮らないんだ?竹下通りを歩いている子は背も高し、足も長いのに、」と言う言葉からだった。
『日本人の体系の記録』これはいける。
タイトルもその時決まった。
黄色人種の黄色から『黄色者たち』の意味で『YELLOWS』。
なぜ、モデルが無表情でポーズを撮らずにただ立っているだけなのか?
それは、記録写真に作者の主観が入ってはいけないからです。
お医者さんが自分の主観で患者さんにポーズつけてレントゲン写真撮ったら
大変な事になってしまいますよね。
Posted via email from 五味彬Says.
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